遺伝性乳がん・卵巣がんと遺伝子検査
日本人の2人に1人ががんを発症するといわれており、男性のがんの43.4%、女性のがんの25.3%は生活習慣や感染が原因と考えられています※1。しかし、遺伝的な要素ががんの発症にかかわっているがん種もあります。現在、さまざまな遺伝子の解析技術の進歩によって、乳がんや卵巣がんのリスクを事前に知り、医師と相談しながら治療を選択することが可能となっています。
遺伝性乳がん・卵巣がんとは
がん全体としてみると、発症の原因が遺伝である割合は少なく、多くの場合、がんは遺伝するものではありません。しかし、親から子に受け継がれた遺伝子の変異ががん発症のリスクとなることがわかっているものもあります。
乳がん卵巣がんの発症リスクが高い特定の遺伝子変異
遺伝子は細胞のなかにある設計図のようなもので、約2万数千個もの遺伝子情報によって人の身体や体内で必要とされる物質がつくられています※2。この遺伝子のなかで、BRCA1またはBRCA2という遺伝子が乳がんや卵巣がんの原因となることがわかっています。
このBRCA1やBRCA2遺伝子変異は、親から子に2分の1の確率で受け継がれるもので※3、この遺伝子変異が原因で発症するがんをHBOC(Hereditary Breast and/or Ovarian Cancer syndrome:遺伝性乳がん・卵巣がん症候群)といいます。
BRCA1(乳がん感受性遺伝子1)またはBRCA2(乳がん感受性遺伝子2)は乳がんや卵巣がんのみに関連する遺伝子ではありませんが、この遺伝子変異を持つ女性は、生涯で乳がんになるリスクが41-90%、卵巣がんになるリスクが8-62%という報告があります※4。
日本人女性が生涯で乳がんを発症する割合が11.2%、卵巣がんを発症する割合が1.6%※5 とされていることからも、この2つの遺伝子のどちらかに変異があると乳がんや卵巣がんを発症するリスクがそうでない人に比べて非常に高いことがわかります。また、HBOCの女性の場合、若い年齢でのがんの発症や多発がんの傾向があるとされています。
保険診療で受けられるBRCA遺伝子学的検査とは
BRCA1やBRCA2遺伝子自体はすべての人が両親から1つずつ受け継いでいるもので、決して特殊なものではありません。このうち両親のどちらかに遺伝子の変異があると、その変異を受け継ぐ可能性があるということです。つまり、乳がんや卵巣がんという女性特有のがんではあるものの、その遺伝子変異自体は母方、父方どちらも同じ確率で受け継ぐことになります。
そのため、父方、母方のどちらかの血縁者に2人以上の乳がん、卵巣がんの人がいる場合には、HBOCの可能性があります。現在はBRCA遺伝子学的検査を受けることで、BRCA1、BRCA2の遺伝子異常の有無を調べることができるようになりました。
BRCA遺伝子学的検査の方法
BRCA遺伝子学的検査は、血液中に含まれるBRCA遺伝子の変異を調べるものです。遺伝子に変異が見つかった場合には、遺伝性乳がん卵巣がん症候群と診断されます。すでにがんが発見されている場合には、その結果を受けて治療方針などを検討します。また、がんを発症していない自費で検査を受けた人も、今後の健康管理について医師や遺伝カウンセラーと相談することが重要です。
保険適用となったBRCA遺伝子学的検査
2020年4月から、乳がんと診断されている人で一定の条件を満たす場合には健康保険でBRCA遺伝子学的検査を受けることができるようになりました。
乳がんのBRCA遺伝子学的検査の保険適用
- ・45歳以下で乳がんと診断された
- ・60歳以下でトリプルネガティブ乳がん(TNBC:三重陰性乳がん)と診断された
- ・両側の乳がんと診断された
- ・片方の乳房に複数回乳がん(原発性)を診断された
- ・男性で乳がんと診断された
- ・卵巣がん、卵管がんや腹膜がんと診断された
- ・自分が乳がんと診断され、血縁関係がある人(3親等以内)に乳がんまたは卵巣がんを発症した人がいる
- ・自分が乳がん、卵巣がん、腹膜がんのいずれかを診断されていて、かつ血縁関係にある人がすでにBRCA1、2遺伝子の変異があるとわかっている
この要件に1つでも当てはまる場合にはBRCA遺伝子学的検査が保険適用になりました。詳しくは医療機関でご相談ください。
乳がんと診断されていない人がBRCA遺伝子学的検査を受ける場合
一方、まだ乳がんと診断されていない人が、自分にこの遺伝子変異があるのかどうかを調べるBRCA遺伝子学的検査を受ける場合、費用は全額自己負担となります。
BRCA遺伝子変異があると、がんのリスクが高くなるものの、必ずがんになるとは限りません。また、血縁者向けの自費検査を受けられる施設は限られており、検査費用も高額になります。がんと診断される前のBRCA遺伝子学検査を希望する場合には、事前に検査を受けるメリット、デメリットを踏まえて十分に検討し、医療機関で相談しましょう。また、BRCA遺伝子変異がある可能性の有無にかかわらず、重要なのは定期的ながん検診を受けることによるがんの早期発見です。
乳がんを早期発見するために
HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)と診断された人は、がんになる確率がそうでない人に比べて高いことを踏まえて対策をとることが重要です。具体的には、診断後、遺伝カウンセリングを受ける、リスク低減手術を受ける、定期的に検査や診察を行い、がんの早期発見に努めるといった対策があげられます。
遺伝カウンセリングとリスク低減手術
遺伝カウンセリングとは、専門の遺伝カウンセラーに遺伝に関わる悩みや不安などについて相談したり、科学的な根拠に基づく正しい情報を説明してもらったりするものです。
また、リスク低減手術とは、乳がん、卵巣がんそれぞれの発症リスクを減らすことを目的に遺伝性乳がん卵巣がん症候群が予防的に乳房を切除したり、卵管や卵巣を切除したりする手術です。
このリスク低減卵管卵巣摘出手術や乳房切除手術も2020年から保険適用となっていますが、現時点ではBRCA1もしくはBRCA 2の遺伝子変異がある乳がんや卵巣がんの患者さんが対象です。BRCA1もしくはBRCA 2の遺伝子変異があり、血縁者にも乳がんの人が複数いるなど、乳がんリスクが高いものの、がんの診断を受けていない人がこの手術を受ける場合の医療費は全額自己負担となります。
乳がんを早期に見つける定期検診
遺伝性乳がん卵巣がん症候群の人は、乳がんを早期発見することが何よりも重要です。若いうちに発症する人が多いという特徴があることから、25歳ごろから乳房MRIによる乳がん検診を受けることが勧められています。とくにBRCA1遺伝子変異がある人の場合、乳がんを発症すると悪性度が高く、進行が早い人が多いといわれています。
また、両側に乳がんを発症する人が多いのも特徴です。片側で乳がんの罹患歴がある場合には、乳がんを発症していない側に対してリスク低減乳房切除術を検討するなど、カウンセリング体制が整っている医療機関で十分に説明を聞き、検討するのもよいでしょう。
ここがポイント!
- ・親から子に遺伝するBRCA1もしくはBRCA2に遺伝子変異があるHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の女性は、乳がん卵巣がんの発症リスクが高い
- ・BRCA1もしくはBRCA2の遺伝子変異は血液検査(BRCA遺伝子学的検査)で調べることができる
- ・乳がんや卵巣がんと診断されている人がBRCA遺伝子学的検査を受ける場合は保険適用となる
- ・HBOCの人は、がんの早期発見のために定期的な検査を受けることが重要
引用・参考資料
※1 がん情報サービス:がんの発生と予防 科学的根拠に基づくがん予防
https://ganjoho.jp/public/pre_scr/cause_prevention/evidence_based.html(2023年9月15日閲覧)
※2 国立がん研究センターがんゲノム情報管理センター:がんゲノム医療とがん遺伝子パネル検査 遺伝子とがんの関わり 遺伝子・ゲノムとは
https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/(2023年9月15日閲覧)
※ 3 日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構:第1章 HBOCについて知っておきたい Q1 HBOC(エイチビーオーシー)とは何でしょうか?
https://johboc.jp/guidebook_g2022/q1/(2023年9月15日閲覧)
※4 org・日本婦人科腫瘍学会・日本乳癌学会監訳:NCCN腫瘍学臨床診療ガイドライン 乳癌および卵巣癌における遺伝学的/家族性リスク評価 2019年第3版
https://www2.tri-kobe.org/nccn/guideline/gynecological/japanese/genetic_familial.pdf(2023年9月15日閲覧)
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html(2023年9月15日閲覧)
・日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構:遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン2021年版
https://johboc.jp/guidebook_2021/(2023年9月15日閲覧)
・日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構:遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)診療の手引き2017年版
https://johboc.jp/guidebook2017/(2023年9月15日閲覧)
・日本乳癌学会:遺伝性乳がん卵巣がん症候群の保険診療に関するQ&A(更新日:2022.07.25)
https://www.jbcs.gr.jp/uploads/files/QA_220725.pdf(2023年9月15日閲覧)
・日本乳癌学会:患者さんのための乳癌診療ガイドライン2019年版
https://jbcs.xsrv.jp/guidline/p2019/guidline(2023年9月15日閲覧)
・平沢晃:HBOC診療~保険診療における次の一歩~.遺伝性腫瘍,日本遺伝性腫瘍学会,23(1):2-5,2023.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsht/23/1/23_2/_pdf/-char/ja(2023年9月15日閲覧)
・日本遺伝カウンセリング学会:遺伝カウンセリングQ&A
http://www.jsgc.jp/faq.html(2023年9月15日閲覧)
吉丸真澄
(よしまる ますみ)
吉丸女性ヘルスケアクリニック院長
https://yoshimaru-womens.com/
金沢大学医学部卒業後、国立病院機構東京医療センター、東京歯科大学市川総合病院に勤務。2012年に東京歯科大学市川総合病院産婦人科助教に就任。2020年に吉丸女性ヘルスクリニックを開業。日本産科婦人科学会産婦人科専門医、日本女性医学学会認定女性ヘルスケア専門医、日本抗加齢医学会認定抗加齢専門医、日本医師会認定健康スポーツ医、NR・サプリメントアドバイザー